福彩支援

5月16日期日の報告~次回7月25日期日のお知らせ

5月16日期日の報告~次回7月25日期日のお知らせ

いつもご支援ありがとうございます。

今日の傍聴に足をお運びくださいました皆様、ありがとうございました。
次回福島原発さいたま訴訟期日は、7月25日(水) 14:00 さいたま地裁です。
ぜひ、足をお運びください。

福島原発さいたま訴訟第21回口頭弁論期日報告

第21回口頭弁論では、原告の方々の損害を立証するための、3名の方の原告陳述書が提出されました。
この内容につき、原告側弁護士が陳述を行いました。

母子避難を余儀なくされたAさん
夫と共に子供たちが健やかに育つことを願って購入した家、自然豊かな暮らし、子供会、両親を始めとした子育てを支えてくれた地域コミュニティー全てが奪われました。
子供たちは小学校低学年から夫と離れ、中学、高校生となりました。
その大切なときに、夫は関われませんでした。
進学も、子供たちは夫に相談しませんでした。
家計も逼迫しました。
子供たちの甲状腺にのう胞ができ、健康に不安を感じています。
事故がなければ。本当は福島で健やかな子育てができるはずだった。

子供たちの放射性物質による健康被害をさけるため、母子避難をしたBさん。
避難に対する考え方の違いから、夫婦のすれ違いが続き、その溝は埋めようもなく深くなってしまい、離婚。
子供たちへの罪悪感。周囲からすべてを非難されているような気持ちになり、外に出ることもできなくなってしまいました。
原発事故は、家族の住む場所だけでなく、心もばらばらにし、私たちの普通の暮らしをすべて壊しました。

退職後、自然に囲まれた福島で地域の活動などに取り組んでいたCさん。
事故発生後わずか5日の間に、着の身着のままで、4回も5回も、避難先の変更を余儀なくされました。
両親は体調を崩し、事故の年の7月に他界。
結局両親いずれとも死に目にあえませんでした。
避難後は狭い避難所で、食事も息抜きも極めて狭い範囲にとどめられ、自分の殻に閉じこもるような生活をつづけました。
親族とも散り散りになりました。
会話も途絶えました。
住まいのあった場所は中間貯蔵施設ができることになり、もう戻る家はありません。ふるさとは、完全に破壊されました。
家族のだれも福島県に帰ることは考えられません。
被告国や東電への不信感は到底ぬぐうことはできません。
福島での暮らしを取り戻すことができないと思うと、深く哀しみに沈んでしまいます。
被告らには、被害者の目線に立って、責任や賠償のことを真剣に考えてもらいたいのです。

これらの言葉では言い尽くせない被害の実態を裁判所が真摯に受け止めることを求めていきます。

今回の期日に先立ち、弁護団から、現地検証の申立てが行われました。
裁判官に実際に原告らの福島の避難元自宅を訪れてもらい、書面や写真だけでは伝わらない被害の実態を目の当たりにし、原告らの想いを知ってもらうための手続きです。

進行協議にて、被告は、現地検証について、反対の意見を述べ、次回期日にて書面で反論を述べるということですが、裁判所が、原告の被害の実態をきちんと検証することを求めていきます。

今後は、原告の皆さんの陳述書の提出が続きます。

未曾有の被害の立証に弁護団・原告の皆さんが、取り組んでいます。
この裁判へ多くの皆様の関心とご支援をいただけますよう、今後とも皆様のご協力をお願いいたします。
ぜひ、足をお運びください。

次回以降の期日のお知らせ

7月25日(水)午後2時
10月31日(水)午後2時

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