福彩支援

2014年

「福島原発さいたま訴訟」 第三回口頭弁論報告(2014/12/13)

2014年12月10日午後3時より、さいたま地裁101法廷で満席の傍聴者が見守るなか、福島原発さいたま訴訟の第3回口頭弁論が開催されました。

第3回期日においては、冒頭、書面のやりとりの確認ののち、東電代理人弁護士が、原告側が準備してきた意見陳述について、「準備書面に記載のない内容なので、陳述は認められない」などと異議を述べてきました。

すぐに、原告側代理人の吉廣弁護士が、「口頭弁論なのだから、書面にない内容を陳述することは認められることだ」と厳しく反論。裁判長も「口頭主義が基本ですから」と東電の主張をすぐに退ける、という一幕がありました。当事者が対峙して互いに自分の言い分を口頭で述べあうための手続が口頭弁論なのですから当然のことなのですが、それを忘れた呆れた主張でした。それほどまでに東電は代理人の陳述を皆に聞かれたくなかったのでしょうか。

口頭弁論では、まず、福島第一原発から25km圏内の広野町から避難された原告本人による意見陳述が行われました。

何も知らされず、とりあえずの避難だ、と言われて避難をしたこと。

ペットがいたため、避難所に入れず、車の中で過ごしたこと。

寒さで凍死するのではないかと心配だったこと。

情報もなく、避難してきた作業員や技術者に、原発はメルトダウンして核燃料はもう溶けている、ここも危ない、早く逃げろ、と言われたがどうにもならなかったこと。

母の具合がどんどん悪くなり、ついには歩けなくなってしまったこと。

母の涙が止まらなくなったこと。

一方的に避難解除されたが、線量が高くてとても帰れないこと。

国や東電に奪われたものをきちんと賠償してもらえるよう、裁判所には公正で正義にかなった判決をしていただきたいこと。

とつとつと静かに語られ、何も知らされなかった不安、悔しさ、今も続く避難生活の困難さ、奪われたものの大きさなどが胸に迫る内容でした。

続いて、東電が嫌がった原告側代理人弁護士による意見陳述が行われました。

陳述したのは松浦弁護士。まず国の責任について。国が原発を推進してきたこと、東電が十分な安全対策をとっていなかったことについて指導・停止命令をなすべきだったのに、なさなかった違法を厳しく指摘しました。

続いて、東電の過失についての審理の必要性について。東電は事故の責任は自分たちにないかのような主張を一方的にするだけで、原告らの主張に反論する必要さえないと主張している。このような東電の主張は、被害者を愚弄する行為に他ならない、自らの行為について法的に審理されることを拒否し、責任について公の場で明らかにされることを回避する東電の態度を強く非難する迫力ある陳述でした。裁判所がこれらの陳述を真摯に受け止め、東京電力の呆れた無責任論を許さない訴訟指揮を取ることを求めたいと思います。

次回期日は、来年2月18日(水)午後2時30分、次々回は4月22日(水) 14時30分 です。

来年1月19日には、自主避難してきた方々の追加提訴も予定しています。追加提訴した方々も同時に審理が行われるようにしていく予定です。追加提訴については、「福島原発さいたま訴訟を支援する会」(福彩支援)のホームページ:https://fukusaishien.com/ でお知らせいたします。

毎回の傍聴席を満席にできるよう、皆さまのご協力をお願いいたします。今回駆けつけてくださったみなさま、今回来られなかった方も是非、次回期日においでくださいますようお願いいたします。

これからの長い裁判の歩み、原告団・弁護団とともに、この裁判が正義の判決を得るまで、これからも引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

福島原発さいたま訴訟支援する会

北浦恵美

ご連絡は下記までお願いいたします。

apply@fukusaishien.com

報告者:北浦恵美(「福島原発さいたま訴訟を支援する会」代表)

福彩支援ニュース第2号

福島原発さいたま訴訟を支援する会が発行する会報「福彩支援ニュース 第2号」が発行されました。

PDFファイル形式で公開いたします。ぜひ、ご覧下さい。

内容は下記の通りです。

<内容:8ページ>

  • 第2口頭弁論。原告側弁護団、被告の重大な過失を厳しく糾弾。次回期日は12/10(水)
  • 第2準備書面・第3準備書面概要
  • 第4準備書面
  • 第2次提訴予定のご報告
  • 原発に関する埼玉県民投票条例の制定を求める「埼玉県条例制定請求者署名」にご協力を!
  • 電力会社が再生エネルギー契約を中断
  • 12/10(水)第3会口頭弁論の傍聴にご参加ください!

PDFファイルのダウンロード(800KB)

福島原発事故責任追及訴訟 第3回期日のおしらせ

平成26年9月24日午後3時から、さいたま地方裁判所にて埼玉原発事故責任追及訴訟の第2回口頭弁論が行われました。

前回の期日に引き続き、傍聴席はほぼ満員となりました。お忙しい中、傍聴のために足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。

今回の期日で、次回以降の弁論期日が決まりました。

  • 第3回口頭弁論期日 平成26年12月10日 午後3時  (101号法廷)
  • 第4回口頭弁論期日 平成27年2月18日  午後2時30分(101号法廷)
  • 第5回口頭弁論期日 平成27年4月22日  午後2時30分(101号法廷)

次回期日は、平成26年12月10日午後3時から、さいたま地方裁判所101号法廷で行います。

傍聴券の配布がありますので、傍聴をご希望の方は午後2時30分までにさいたま地方裁判所B棟入り口までお越しください。

今後とも、原告団にご支援をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

第2回期日報告

平成26年9月24日午後3時から、さいたま地方裁判所にて埼玉原発事故責任追及訴訟の第2回口頭弁論が行われました。

前回の期日に引き続き、傍聴席はほぼ満員となりました。
お忙しい中、傍聴のために足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。

法廷では、まず、前回の期日後に提出された書面の確認と陳述を行いました。私たち原告側からは、第2準備書面、第3準備書面を陳述し(これらの書面の内容は、前回の更新記事に詳しく書いてあります。)、第4準備書面と、甲A6号証から甲A43号証までを提出しました。
「甲A○○号証」というのは、私たちが提出した証拠に付けた番号です。
民事訴訟では通常、原告が提出する証拠を「甲号証」と呼びます。
提出する順に「甲1号証、2号証、3号証……」と番号を付けるので、「甲A43号証までを提出した」ということは、これまで43個の証拠を提出したということです。
「A」の記号の意味については、また説明する機会があると思いますので、今回は割愛させていただきます。

国は、第1準備書面、第2準備書面を陳述し、丙ハ1号証から19号証、丙ロ1号証から2号証を提出しました。
この証拠番号の意味も、別の機会にご説明したいと思います。

次に、原告代理人が意見陳述を行いました。その内容は、東京電力は、今回の事故の原因である全交流電源喪失が地震や津波によって発生する可能性を、いつの時点で、どのように認識することができたのか、というものでした。
私たちの主張は、平成14年7月の時点、またはどんなに遅くとも平成18年5月頃の時点で、東京電力は十分な認識を持っていた、というものです。
地震や津波について、これまでどのような研究がなされてきたのか、それと原子力発電所の安全性との関係はどのように考えられてきたのかを述べました。
今回私たちが提出した第4準備書面では、この内容を詳細に論じています。
法廷での口頭弁論期日の後、別室にて、裁判所と各当事者の代理人が進行協議を行いました。
今後の裁判の進行について、法廷では話しきれない意見交換や確認をするのが、進行協議です。

その進行協議で、次回以降の弁論期日が決まりました。本件訴訟の今後の日程は次のとおりです。

平成26年12月10日 午後3時   (101号法廷)
平成27年2月18日  午後2時30分(101号法廷)
平成27年4月22日  午後2時30分(101号法廷)

その後、さいたま共済会館にお集まりいただき、報告集会を行いました。
報告集会には、いつもお世話になっている福彩支援の会の皆様のほかに、山形弁護団、首都圏弁護団、浜通り弁護団から弁護士、浜通り訴訟の原告ご本人、そして他の地域からも訴訟を応援する市民の会の方々が応援に来てくださいました(もちろん、みなさま裁判傍聴にも来てくださいました)。

とてもありがたく心強いだけでなく、このような連携が全国的な運動になればと、強く感じました。

応援をしてくださる皆様、本当にありがとうございます。

次回期日は、平成26年12月10日午後3時からです。
今後とも、原告団にご支援をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

「福島原発さいたま訴訟」 第ニ回口頭弁論報告(2014/9/24)

9月24日15時、さいたま地裁101法廷で、福島原発さいたま訴訟の第2回口頭弁論が、ほぼ満席の傍聴者が見守るなか、開催されました。

冒頭、原告代理人弁護士が、7月23日提出の第2・第3準備書面に続く第4準備書面を意見陳述し、O>P(小名浜港工事基準面)+10mを超える津波で電源喪失に至る危険性について、東電側は平成14年に、どんなに遅くとも平成18年には認識していた事実を指摘し、重大な過失責任を厳しく糾弾しました。

これに対し東電側代理人が「責任論云々の論議は必要ない、損害論の方を早く進めたい」と陳述し、原告側弁護士が強く反発する一幕がありました。

民法709条には「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害したものは、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とありますが、東京電力は「原子力損害の賠償に関する法律(原賠法)」3条1項の規定する「原子力事業者の責任」を、「無過失責任」と解釈し、民法709条の適用が排除されるとして、賠償責任の審理は損害の有無や金額に関する部分に集中すべきであると主張しています。

しかし、これは被害者の主張を門前払いし、政府が設けた基準を踏まえて賠償すればいいとする逃げ口上。慰謝料の算定にも、東電が犯した過失の重大さ、その責任の大きさは大きく影響するし、何よりも、このような事故を繰り返さないために国と東電の責任を明らかにさせることこそが、原告らが求めていることです。

弁護団は、民法709条と原賠法3条1項の関係を詳細に検討し、原賠法3条1項は民法709条の適用を排除しないこと、本件においては東京電力の過失の種類や程度を審理の対象としなければならない理由を主張しています。

裁判長から、双方の論点を整理し、訴訟の進め方に関する進行協議を行う旨の提案があり、原告側(他地域訴訟の弁護団も含む)、被告側(国・東電)、裁判所の4者で進行協議が別室で行われ、次回期日以降の日程も決められました。

12月10日(水)15時、2015年2月18日(水)14時30分、4月22日(水)14時30分です。

場所を改めて行われた報告集会では、福島から駆けつけてくださった福島原発避難者訴訟原告団の皆さんから連帯と激励の挨拶があり、さまざまな困難のなかで裁判を続けている当事者ならではの言葉に打たれました。賠償要求に対する心ない言葉がどんなに被害者が傷つけているか、反面、多くの支援がどんなに助けになっているか…。身の引き締まる思いでした。

続いて、福島県浜通り、首都圏、山形で賠償請求訴訟を闘っている弁護団からの発言があり、「責任論を問わずに損害論に入るやり方は、無責任論だ」、「ゼニ・カネの問題ではない。国と東電の責任を明らかにすることなしに、補償はありえない」「同じ被害、同じ加害者の裁判が全国で展開されている。弁護団も全国的に連携し、裁判闘争の水準と論理を底上げしていきましょう」等の、力強いアピールが寄せられました。

次回期日は12月10日(水)15時(傍聴整理券配布は30分前)です。ぜひ傍聴においでくださいますようお願いいたします。

報告者:桂川潤(「福島原発さいたま訴訟を支援する会」事務局)

2014年7月 福彩支援ニュース第1号

福島原発さいたま訴訟を支援する会が発行する会報「福彩支援ニュース」が発行されました。

PDFファイル形式で公開いたします。ぜひ、ご覧下さい。

内容は下記の通りです。

<内容:12ページ>

  • 第1回口頭弁論、傍聴席満席のさいたま地裁101号法定でスタート。次回期日は9/24(水)に
  • 埼玉訴訟の概要(抜粋)
  • 原告意見陳述(全文)
  • 原告代理人意見陳述(全文)
  • 福島原発さいたま訴訟を支援する会結成にあたって
  • 呼びかけ人からのメッセージ
  • 第1回公判を傍聴して
  • 原告側意見陳述を行って(福彩訴訟・原告代理人弁護士)
  • 編集後記

PDFファイルのダウンロード(748KB)

原告の声:第1回口頭弁論 原告意見陳述(全文)

1 私と,妻,義母は,原発事故によって,元々住んでいた浪江町から避難し,事故から3年以上が経った今も,埼玉県内で暮らしています。

私たちは,現在も事故による被害は全く収まっておらず,事故の原因やどこに責任があるのかという事も曖昧なので,避難者の被害の全てについて,きちんと責任を取ってもらいたいと思い,今回,訴訟を起こしました。

2 訳も分からないままの避難

私たちは,事故の翌日である3月12日に,避難指示が出ているとの放送があり,避難先は浪江町の津島地区ということだけを聞かされ,訳も分からず,津島の活性化センターへ逃げました。
これは後で分かった事ですが,当時,既にスピーディが放射性物質が多く拡散する方向を予測していたようですが,津島地区は,まさにその多く拡散すると予測された方向にありました。

その避難所は,今も放射線検知器では常に高い数値が示され,そばを通ると,車の中でもピーピーと警報音がうるさいほどの場所となっています。
もしスピーディの情報が公開されていれば,私たちは津島の避難所に避難するようなことは無く,被曝は防げたはずです。
情報を公開しなかった国や東電は,避難者をコントロールするためであれば多少被爆しても構わないと考えていたとしか思えず,人の命をどう考えているのかと,思い出す度に怒りが沸いてきます。

3 過酷な避難生活

津島の活性化センターでは,救援物資が全然足りておらず,体育館の固い床の上で毛布1枚で過ごさなければなりませんでした。食事は,小さいおにぎりを2人で分けて食べ,トイレは,人数が多すぎて水洗が壊れてしまい,穴を掘って用を足しました。水が足りず,皿なども数が足りないため,洗わずに使い回し,衛生面がとても気になりましたが,避難者は我慢するしかありませんでした。
そのようなひどい環境や,自分達の身に何が起ころうとしているのかを理解できない不安もあり,夜はほとんど眠りにつくことができず,急激に体力が奪われていきました。

私たち家族は,3月15日に,津島の活性化センターから二本松の石井体育館に避難しました。石井体育館でも,固い床の上で毛布1枚で過ごさなければならず,外から風が吹き込んできて,部屋の中はとても寒く,一日中毛布にくるまっていましたが,すぐに体調を崩してしまいました。義母は,事故当時,87歳であり,腎盂炎の持病が
あって,足が不自由なため,避難所ではとてもつらそうでしたが,私たちは義母を楽にしてあげることはできませんでした。

義母は,一定時間毎に自己導尿をしなければいけないのですが,避難所では全くできていなかったので,あの状況がもう少し続けば,義母はかなり危険な状況になっていたと思います。
私たちは,避難所で見たテレビのニュースから,原発が危険な状況であることを知り,すぐにでも原発から遠い場所に逃げたいと思い,埼玉に住んでいる弟に何度も電話をかけてやっと連絡が取れて,さいたまスーパーアリーナの避難所を教えてもらいました。

さいたまスーパーアリーナへ避難する際には,県外には出られない,渋滞で動けない,道が走れる状態ではない,などの噂が飛び交い,一体,どこに逃げればいいのか誰も分からない中で,決断をしなければなりませんでした。さいたまスーパーアリーナには,既に,多くの避難者が避難していて,私たちは,通路に毛布を敷いて,段ボールで仕切って生活しました。
義母は腎盂炎を患っているため,人工透析が可能な障害者センターに避難をしましたが,そこでも体育館のような場所で,大勢で生活する状態でした。

事故から3か月が経過しても,帰れる見通しは立たなかったため,長期間の避難先を考えなくてはならないようになりました。
私は,家族の健康や,命の危険から守るには,福島で生活していた様にはいかないまでも,誰にも遠慮する必要もなくストレスもかからない生活をしないといけないと思い,何とかお金を工面して,現在の自宅を購入しました。
国は,避難者が生活する場所として,仮設住宅を作りました。しかし,避難者は,それまで自宅で何不自由なく生活していたのに,突然転々と避難させられ,心身共に疲れ果てている状態にも関わらず,生活環境がまるで違い,狭くてプライバシーも保たれない様な所に入れてしまうというのは,多少の年寄りや体の弱い人は死んでしまっても仕方ないだろうとの考えだったのではないかと考えてしまいます。

東電や国は,原発事故によって,私の住んでいた家や生活を滅茶苦茶にしたのですから,避難者の生活を事故以前の状態に戻す責任があるのは,当然ではないでしょうか。

4 奪われた何気ない日常

私たち家族は,長年,事故前に住んでいた浪江町で暮らしてきました。
浪江町の自宅の近くには,私たち家族が長年行き慣れた場所がたくさんあり,全ての場所に,たくさんの思い出があります。

自宅近くにある丈六公園は,自然いっぱいの公園で,高低差のある1時間くらいの散歩コースがあったため,散歩するには丁度いい公園でした。
自宅の庭では,野菜や庭木を育て,庭いじりをすることが習慣でしたが,現在の自宅では,広い庭はないので,そんな楽しみはありません。

浪江町の自宅から海岸まではすぐの距離でしたので,私たちは,よく海岸線を散歩しました。埼玉には海がなく,以前のように気軽に海岸線を散歩することはできません。浪江町には,水のきれいな川もたくさんあり,夏にはシジミ採りを楽しみました。
自宅の近くには山もたくさんあり,頻繁に,山菜やきのこを採りに山に入っていました。1月はふきのとう,4月はワラビやタラの芽など,秋は栗やイナゴや
キノコなどを採りました。

それ以外の季節にも,山菜の取れそうな場所を探索したりなどするために,大体,週に2回くらいの頻度で山歩きに行っていました。
仕事を引退して,毎日ゆったりと過ごしていた私たちにとって,山歩きは,まさに生きがいでした。

浪江町では,いつでも行きたいときにすぐに山に行くことができましたが,埼玉では近くに山がないので,費用と時間をかけなければ,山に行くこともできません。今は,生きがいだった山歩きができなくなってしまいました。
義母は,避難前は,ほぼ毎日,近所に住む友人を自宅に呼んで,お茶を飲みながら世間話をすることを何よりの楽しみにしていました。
しかし,原発事故によって,友人らとも離ればなれになったため,義母は,毎日,孤立した寂しい生活を送っています。

私たちが,義母の笑顔を見ることや笑い声を聞くことも,少なくなりました。
避難後,余り外に出なくなった義母は,身体の衰えが進み,要介護2の認定を受けました。現在は,私と妻で,義母を介護しながら生活しています。

友人らに囲まれて楽しい余生を送るはずであった義母が今のような生活を送っていることを考えると,か
わいそうでなりません。
ストレスを感じることなく,毎日の日常生活を楽しんでいた義母は,なぜ,こんな辛い思いをしないといけないのでしょうか。

私たちは,あの何気ない日常を取り戻したいだけなのです。

今回の原発事故によって,私たちは,何気ない日常を一瞬にして滅茶苦茶にされました。もう,どうやっても元通りにはなりません。国や東電は,どう責任を取ってくれるのでしょうか。

5 私たちの気持ち

私たち避難者は,避難をしたくてしたのではありません。動きたくもないのに,無理矢理,移動させられたのです。

勝手に私たちの生活を奪っておいて,きちんと責任を取ろうとしない国と東電は,一体,どういうつもりなのでしょうか。

私たち避難者は,原発事故により,元々住んでいた場所での生活の全てが破壊され,自分の家に住む自由や好きな環境で生活する自由を奪われ,現在も,避難
先で不自由な生活を送っています。

避難前は出来ていた趣味や生きがいも,現在は全く出来なくなっています。
この状況は,身体を縛られ,自由がきかない状態と同じです。
そうならば,せめて,その拘束に見合った責任を取ってもらうのは当然です。

また,帰れるか帰れないかは,国が勝手に決めるものではなく,避難者自身が決めることではないでしょうか。

将来的な健康被害は不明ですし,山林などの除染も全く手つかずの状態であり,放射性物質が風などで飛んでくることも十分あり得ると思います。
自分が住んでいる家から何キロも離れていない場所,例えば,ここからなら,浦和駅あたりに除染されていない山林があったとしたら,この裁判所のあたり
に住みたいと思うでしょうか。
そんな状況では,元々住んでいた人が住めないと思ったら,そこは住めない場所になったと考えるべきではないでしょうか。
そんな状態で帰ったとしても,事故前と同じ生活ができるはずがありません。それでも「帰れる」というのなら,まずは東電の本社を福島に持っていって,実
際にそこで生活をしてみて欲しいぐらいです。
住む場所については,事故を引き起こした東電や国が,避難者全員の住宅を用意すべきだと思います。それが出来ないのであれば,事故前の自宅と全く同じ
ものを調達することはできないので,せめて,避難者が,避難先で新たに住宅を購入できるようにすべきではないでしょうか。

国や東電は,今回の原発事故で,本当に大変な事をしてしまったという事を,もう一度よく考えてほしいと思います。
国も東電も,避難者の大変な被害について,もう一度よく考えて,きちんと責任を認めてほしいです。そして,一旦事故が起きたら,こんなにひどい事になっ
てしまうのだと,真剣に反省するべきです。

私は,現在も避難生活を強制されて,それに対して国や東電が十分に責任を取っていないことが,悔しくて仕方ありません。
私たち家族や原告以外にも,原発事故によって避難させられた避難者は,たくさんいます。
裁判官の皆さんにおかれましては,避難者の被害の実態をご理解頂き,是非,正しい結論を下して頂くようお願いします。

以上

9/24(水)福島原発さいたま訴訟 第2回口頭弁論の傍聴にご参加を!

20140924chirashi
とき:9月24日(水)15時  さいたま地裁(〒330-0063 埼玉県さいたま市 浦和区高砂3丁目16-45)

*是非傍聴にご参加ください!
当日は傍聴券が配られる見込みです。14:15にさいたま地裁本館前にお集まり下さい。

裁判終了後に弁護団主催の報告集会があります。

場所:さいたま共済会館
内容:口頭弁論期日の説明、原告側の主張の概要 (さらに…)

第1回口頭弁論、傍聴席満席の さいたま地裁101号法廷でスタート。 次回期日は9/24(水)に

福島原発事故で故郷を追われ、埼玉に避難された被災者6 世帯16 名が国と東電を相手に提訴した損害賠償請求訴訟「福島原発さいたま訴訟」の、第一回口頭弁論が、6 月18 日、さいたま地裁(脇 由紀裁判長)で行われました。

開廷前から傍聴券を求める長い列が出来、満席の傍聴者が注視するなか、まず原告の意見陳述が行われました。原告男性は「今回の原発事故によって,私たちは,何気ない日常を一瞬にして滅茶苦茶にされました。もう,どうやっても元通りにはなりません。国や東電は,どう責任を取ってくれるのでしょうか。」「国も東電も,避難者の大変な被害について,きちんと責任を認めてほしいです。そして,一旦事故が起きたら,こんなにひどい事になってしまうのだと,真剣に反省するべきです。私は,現在も避難生活を強制されて,それに対して国や東電が十分に責任を取っていないことが,悔しくて仕方ありません。」と、静かな口調のなかに強い憤りをこめて語られました。 (さらに…)